岡山県倉敷市本町美観地区 倉敷 工楽松右衛門帆布本店 



工夫を楽しむ!

工楽松右衛門帆布


歴史的資源と地場産業の振興

国の補助事業により歴史的資源の活用(工楽松右衛門+帆布)による新商品の開発を行い、帆布発明者の名にあやかり「工楽松右衛門帆布」をブランド名とする、帆布のカバン・バッグ・小物等の製品を工房内で一環製造する体制を構築しました。


お店の基本情報
店舗名 倉敷 工楽松右衛門帆布本店
所在地 倉敷市本町11−33
電話番号 086−441−4902(10月から通話可)
営業時間 10:00〜18:00
定休日 月曜日(祭日の場合は翌日) 年末年始
駐車場 なし
HP http://matsuemon.jp/kurashiki/index.html



帆布の発明者:工楽松右衛門


クリックすると新しいウィンドウで開きます 工楽 松右衛門(くらく まつえもん、1743 - 1812年)は、江戸時代の人物。 現在の兵庫県高砂市に生まれ、帆布(松右衛門帆)を発明し、函館にドックを建設し、択捉島に埠頭を築いた。海運業者にして稀代の発明家であります。
工楽松右衛門の銅像

社団法人日本埋立浚渫協会
工楽松右衛門屋敷

当時、わが国の船の帆は蓆で作ったものや、23枚の綿布を重ねて繋ぎ縫いしたものが主流で製作には手間がかかり、その割には丈夫ではありませんでした。松右衛門は、従来の帆の代わり、木綿の細糸をより合わせた太糸を使い、厚手の一枚布を織り上げる方法を考案しました。この新しい布は、耐久性に優れ、軽く扱いやすいことから瞬く間に全国に普及し、「松右衛門帆」と呼ばれるようになり、当時の日本海運を支える礎となりました。寛政年間、ようやく時の江戸幕府は蝦夷地以北の領土保全の重要性を理解し、日本人が開拓し、住みつづけていた択捉島(恵登呂府)領有化を主張しました。蝦夷地の緊迫化に伴い、松右衛門に択捉島での埠頭建設の命令が下り、埠頭建設が竣工しました。これらの実績から享和2年(1802年)に幕府より「工事を楽しむ」「工夫を楽しむ」という意から「工楽」の姓を賜りました。その後、函館でのドック建設や石鈴船・石救捲き上げ装置を発明して防波堤工事などを手がけました。松右衛門の創意工夫は、「帆布製造の始祖」として名高いですが、築港工事や鮭の調理方法を工夫し保存食である新巻鮭(荒巻鮭)を考案しました。文化9年(1812年)70歳の生涯を終えます。 公益のためには苦労を惜しまず、持ち前の工夫で工事を楽しんだ松右衛門は自らの信念を次のように言い残しています。人として天下の益ならん事を計らず、碌碌(ろくろく)として一生を過ごさんは禽獣(きんじゅう)にも劣るべしすなわち「人として世の中の役立つことをせずに、ただ一生を漠然と送るのは鳥や獣に劣る」、と。
工楽松右衛門のことは、司馬遼太郎の、菜の花の沖に詳しく描かれています。